2022年1月10日月曜日

LOVE & PEACE (2022-01-03)

上原ひろみさん率いるピアノ・クインテットを同氏から二、三メートルの距離で鑑賞した昨日に続き、今日も素晴らしい席に恵まれた。中野サンプラザ三列、ど真ん中。今冬のハロ・コンに私は三回、入る。今日の昼公演と、来月の仙台昼夜公演。本当は名古屋にも行きたかった。1月22日(土)、1月23日(日)。現地のイルなマイ・メンたちとも再会したかった。ところが田村芽実さんとめがねさんの二人芝居“Equal-イコール-”と日程が被ってしまい、見送った。コンサート以外の交流も含めると私には最重要だった名古屋の二日間を逃すことになるのは痛恨だったが、中野で三列をいただいたのはそれを補って余りある幸運だった。人生においてHello! Projectのコンサートを近距離で観ることよりも大事なことはそう多くない。仮に十万円、二十万円でチケットを譲ってくれと打診されたとしても(実際にはそこまでの高値にはならないだろうが)売らなかったと思う。良席を何枚も持っていたら一、二枚を売る気にもなろうが(そもそも転売は厳しく取り締まられているので軽い気持ちでやれることではない。あくまで仮定の話)、運でたぐり寄せたなけなしの良席、意地でも譲り渡すことはできない。この経験は銀行口座の数字以上に意味がある。失業や老後に備えてお金を貯めるのが人生の目的ではないので。いつダンプ・トラックにひかれてすべてが終わるかは分からないので。

三列で双眼鏡を使うことには躊躇があった。かなりキモいと自覚はしていた。ただ私の双眼鏡は倍率が6倍しかない。だからそこまでキモくないかもしれない。10倍や12倍をあの位置で構えていたらさすがにキモいと言われても仕方がない。私の場合は6倍だから。目の悪い人がモノを見るときに眼鏡を使う。その延長線上。そもそも仮に前方で双眼鏡を使うのがキモいとして、それを自重したところで得られるものはない。キモさを最小限にした鑑賞方法を続けていればメンバーさんとエッチさせてもらえるわけではない。何のために私はココにいるのか? 端的に言うと、女を観るためだ。若くて可愛い女を観るためだ。同じ観るなら拡大して観た方がいいに決まっている。このために、私は安くないお金を払ってココに来ている。相手どうこうではない。自分たちのスタイルに自信を持つ。自分たちのフットボールを貫く。勇猛果敢。アタッキング・フットボール。とは言いつつ私もジャップなので周りの目を意識し多少は遠慮した。双眼鏡を下げ音楽に身体を揺らし手拍子をし“ちゃんと”コンサートを観ているんだぞって見せるのも忘れなかった。小野瑞歩さんがステージにいるときは双眼鏡を使わないように気を付けた。小野さんだけにはキモがられたくないので。
金払ってんならば払っただけ 遊んでかなきゃお前の負け(ZEEBRA、“Parteechecka”)
昨日の上原ひろみさんピアノ・クインテットの衝撃が頭から抜けない。あれを見せつけられた後では、音楽のためにハロ・コンに行くなんていうのは詭弁だ。クオリティの差から目を逸らすことが出来ない。もちろんジャンルも何もかもが違う。単純な比較は出来ない。それは重々承知。だが、あらゆる比較を廃するのもそれはそれで無理がある。別物だから、だけでは済まされない。今更こんなことを言うのは野暮だが、生演奏ではないというのは音楽のショーとして圧倒的なハンディキャップ。演奏は生ではないが、ハロ・コンの歌は生。しかし上原ひろみさんたちの生演奏とHello! Projectメンバーさんたちの生歌は音楽として同列に並べるようなものではない。公演中、この疑問が拭えなかった:昨日観たピアノ・クインテットは紛れもなく本物の音楽だった。だとするといま目の前で繰り広げられているこのコンサートは何なのだろうか? コレはコレで楽しいけど、単に同じ音楽という言葉で括ってしまうにはあまりにも違う。これを書いている時点でも自分の中で結論が出ていない。ひとつ言えるのは、ブルーノート東京の余韻を残しながら観ることで、ハロ・コンに何を求めるべきなのかが私の中でくっきりと浮かび上がった。答えはそう、女、女、女(Jayz, “Girls, Girls, Girls”)。歌唱、ダンス、衣装、曲、その他コンサートを構成するあらゆる要素が、メンバーさんたちの魅力を味わい尽くすための媒体。顔、声、表情、身体。メンバーさんに出来ないインサート。その代わりにあるコンサート。モーニング娘。トゥー・トゥーさんは北川莉央さんと牧野真莉愛さんが群を抜いて性的だった。さすがグラヴュアで鍛えられているだけある。石田亜由美さんの脚も白くもっちりしたふとももの質感がかなり性的だった。アンジュルムさんは川村文乃さんのピッタリしたロング・パンツのお尻が性的だった。新加入の平山遊季さんが既に性的なヴァイブスを身につけており、為永幸音さん、川名稟さんと共に同集団の性を担っていく若手として頼もしかった。(番外編:開演しメンバーさんが登壇すると丸出しにされたふとももが目が行ったが視線を上げると竹内朱莉さんで騙されたがそれを分かった上でも何度か見てしまい、情けなかった。)BEYOOOOONDSさんは二着目の衣装が観測者に射精を余儀なくさせるほどに性的だった(披露する時間が短かったのが惜しまれる)。西田汐里さん、山﨑夢羽さん、一岡伶奈さんは性の悦びを隠し切れていなかった。Juice=Juiceさんは基本的に皆さん性的だったがやはり植村あかりさん、あと工藤由愛さん。段原瑠々さんも身体に密着したロング・パンツの脚とお尻が見事だった。

こんな良席でハロ・コンを観たら打ちのめされ公演直後は恍惚状態になるのが正常な反応だろう。平時のハロ・コンに八割五分〜九割近づいた内容で、満足度は高かった。それでも終演後、高架下でいつものディーラーからアンオフィのS73、S21(小野瑞歩さん)をゲトって中野駅の改札に向かう私は平常心だった。私はもうHello! Project全体の信者ではないのだと実感した。以前の私はHello! Projectをひとつの音楽ジャンルとして熱心に追っていた。他にはない独自の音楽世界があると思っていた。今はこの団体の音楽にそういう価値を見出せていない。個々に見ればいい曲はあるが、全体としては色が薄れ、よくも悪くも普通になってきていると感じる。“普通に”いい音楽は他にいくらでもある。月980円で多種多様なグッド・ミュージックがいくらでもSpotifyに流れてくる中、ディスクを取り込んでiPhoneに入れる一手間をかけてまでHello! Projectを聴く意味はどんどん薄れている。YouTubeでヴィデオ・クリップをフルで観られるし。私が今でも強く支持するつばきファクトリーさん以外はYouTubeで一、二回観て、コンサートで二、三回でも観れば十分かなって思う。よっぽど面白い曲でもないかぎり。