2022年1月15日土曜日

"SAVE LIVE MUSIC 4" HIROMI SOLO "STANDARDS" (2022-01-11)

ブースターを接種した。コロナ・ヴァイラス用ヴァクスィーン。ではなく、このスタンダーズ公演のために用意されたオリジナル・カクテル。NEW YEAR BOOSTER。ジン、柚子、生姜、レモン、スパークリング・ワイン。運ばれてきたそれは二千円(JPY1,800+サービス料180=1,980)にしてはパッと見、ショボかったが、さすがに安居酒屋で提供される数百円の酒とは違う。癖のある香りのジン。オジサンのヘア・トニックのような。新しい香水を纏ったときのようなフレッシュな気分。命名し、試飲したという上原ひろみさんが、わたし調べでは……と前置きした上で、生姜は免疫を高めるので新年にコレを飲んで一年を健康に過ごしてほしいと言っていた。もっと安い(といってもいちばん安くて千円くらい)飲み物でケチらずにこのカクテルを注文して正解だった。公演の思い出の一部となるインパクトのある一杯だった。上原ひろみさんという間違いなく名実共に世界トップ級のピアニストの演奏を少人数で(座席表で数えたら75席だった)独占できる贅沢さを考えると入場料の約一万円と足しても安すぎるくらいだ。本来、上原さんの拠点は日本ではない。世界中を飛び回って各地でプレイするのが彼女のスタイル。客室乗務員よりも飛行機に乗る回数が多いと、たしか『上原ひろみ サマーレインの彼方』(神舘和典)に書いてあった。コロナ騒ぎで国を跨ぐ移動と公演が難しくなっているからこそ、日本で多くの公演をやってくださっている。年末年始、ブルーノート東京、怒濤の連続公演。コロナ騒ぎがもたらした奇跡。私の座席はE4-1。3列目。2日のクインテット公演のときのように超絶的な良席とはいかなかったが、アリーナ席なのでそれでも十分に近かった。何と言っても、登場、退場、アンコールを受けての再登場、再退場の四回、私の本当にすぐ左の通路を、係員に先導された上原ひろみさんが通った。距離20-30センチ。ハロ・コンの降臨よりも近い。ロープも張っていないし。

私は昨日(月曜日)が休みだったのだが、申し込みの時点で分かっていなかった。労働上、火曜日の方が都合がよさそうだったから今日の2セット目(20時半開演)を選んだ。もし昨日が休みだと分かっていたら昨日の公演を申し込んでいたと思う。この回に入ったのは運が良かった。我々がアンコールの手拍子をしていると場内に流れてくる、スター・ウォーズのあの音楽。予期せぬ展開。何だ何だという感じでキョロキョロする我々。スクリーンに出てきた文字を見て理解。コロナ騒ぎで危機に陥ったブルーノート東京そしてライヴ・ミュージック・シーンを存続させるために上原さんが立ち上げたSAVE LIVE MUSIC。一連の公演がこの回で100回目らしい。(つまりコロナ騒ぎになってから上原ひろみさんはブルーノート東京だけで100公演をやっている。)ブルーノート東京のスタッフに少なくとも100回は働く機会を与えられたとユーモアを交えつつ話す上原さん。ほぼすべての回に来ている人もいると上原さんが言うと、最前の老婦人がすぐ後ろの老紳士に振り返ってあなたのことよ的に目配せしていた。いやいや、という感じで老紳士は謙遜する仕草をしていた。オンラインで演奏をしたこともある。もちろん聴いている人々に伝えようとはしていたけど、オンラインでは拍手も聞こえない。ライヴで、こうやって皆さんの前で演奏をすることの大切さ。ライヴと生きるというのは同じliveという言葉。私にとってライヴとはまさに生きるということ。こうやって100回までやって来られたのは観に来てくださる皆さんのおかげ。的なことを話す上原さんは涙ぐんでいた。ライヴと生きることが同義であるという上原さんの言葉は沁みた。生きていることは死んでいないことではない。好きなこと、やりたいこと、自分にとって意味のあることをやっていてこそ生きていると言える。ブルーノート東京は本来、海外のアーティストがたくさん訪れる場所。彼らからブルーノート東京は今どうなっているのかとよく聞かれる。私のFacebook等(での活動報告)を見て、彼らはブルーノート東京が営業しているんだ、戻る場所があるんだと安心している。彼らがココに戻って来るその日が来るまで私はSAVE LIVE MUSICを続ける、と決意を表していた。

ジャズ・ピアノの快楽がすべて詰まったような、密度の高い幸せな時間だった。スタンダーズ公演に来てよかった。というのが、おそらくオリジナルズ公演(上原さんオリジナル曲の公演)と比べてもこちらの方がより伝統的なジャズの色が強いだろうから。表現の仕方がよく分からないけど、ベタなジャズらしさ。そうそうコレよコレという。それが凄く気持ちよかった。ずっとツボを突いてくる感じ。私はマスクの下で頬が緩みっぱなしだったし、感嘆しっぱなしだった。労働では決して動かさない顔の部位や筋肉を使っているのを実感した。つまんねえシケたことばっかりやっているとつまんねえシケた顔になっていく。それを防ぐためにも私はこうやってライヴ・エンターテインメントに足を運ぶ必要がある。私は音楽的素養に乏しいため原曲が分かったのがRed Hot Chili Peppersさんの“Under the Bridge”と、アンコール後の最後の曲“Lean on Me”だけだった。(その前の上原さんの談話を踏まえると“Lean on Me”はメッセージのある選曲だった。)元の曲の概念を一旦グチャグチャに壊してまた回収していく、その解体再構築、遊び心、技量、クリエイティヴィティ。魅了された。これは同じ人生なのだろうか? その疑問が公演中、私の頭を何度もよぎった。18時までの労働。クソみたいな会議。上司のキモ面。翻って20時半からのコンサート。落差が大きすぎる。18時まで我慢しながら働いていた自分と、20時半からブルーノート東京で上原ひろみさんのピアノ演奏に浸る自分。同じ人間とは思えない。今の私は夢の中にいる別の自分なのか? よく分からなくなってきた。上原ひろみさんの演奏に打ちのめされた後って、明日から自分も労働を頑張ろうという感じとは異なる。むしろ明日すぐに会社を辞めようかと少し考えてしまう。それくらいの、絶望に近い感覚を覚える。労働者、と上原さんを括っていいのか分からないが、一人の働き手としての自己実現、自己表現のレヴェルに差があり過ぎて。自分が日銭を稼ぐために従事しているクソ労働の無意味さがますます明確になってしまう。