2022年1月4日火曜日

"SAVE LIVE MUSIC 4" HIROMI THE PIANO QUINTET "BACK at the CLUB" (2022-01-02)

自分の家だからいつでも帰っておいで。そう言って母親はLINEで年末年始の帰省を促してきた。私が無職だった8年前、実家に数日間居候していただけで嫌悪感を示し、いつまでいるんだと遠回しに言ってきたのがその母親なのを私は忘れていない。いま歓迎されても、醒めた対応をする気にしかならない。正月の義務として最低限の時間しか滞在するつもりはない。もう居心地はよくない。実家に行く度に辟易とするのが、常にテレビがついていること。頭が腐りそうだ。決して広くはないリヴィング・ルームに鎮座する、最近買い替えたという55インチの有機ELディスプレイ。画室はやたらキレイ。毎日コレにかじり付いてオミクロン(笑)だの後遺症だのの情報もバッチリの両親(父親はまだ働いているのでそこまでテレビ漬けではないのかもしれないが、間違いなくこの宗教の影響下にある)。彼らの行動範囲は限られている。家、ショッピング・モール、会社。歩く能力も低下している。最近、座骨神経痛になったと母は言っていた。彼らは主にテレビを通してこの世界を認識している。オミクロン(笑)に神経を尖らせ、アメリカの感染者数まで気にかける一方、肺炎球菌の存在は無視して赤ん坊と触れ合う。家の中ではマスクなしで過ごし、車の中ではマスクを着ける。滑稽さに気付いていない。疑問を抱く様子もない。彼らがお年寄りと呼ばれる年齢まで生きてたどり着いた知能の水準がコレなのか。愕然とする。彼らと私は別の世界に住んでいる。(父方の祖母も晩年にテレビを大画面に新調し、死ぬ前に大きいテレビが欲しかったと言い、幸せそうにこたつからテレビを観る晩年を過ごしていた。)

両親宅で行われていた弟一家との新年会を早退し、私が向かったのは表参道。1月1日から上原ひろみさんが公演をやっているブルーノート東京。今日は彼女が率いるピアノ・クインテットの公演を観に行く。私は上原ひろみさんの公演に入るためだけにブルーノート東京の有料会員になっている。数千人を収容するいわゆるホール会場ならともかく、ブルーノート東京の収容力でこの世界的なピアニストの公演チケットを取るのは普通では難しい。抽選ではなく先着順なので、先行購入権が与えられる有料会員ではないと確保するのは極めて困難。事実上、一般人に門戸は開かれていない。(去年はまだ有料会員ではなかった。あのときなぜ席が取れたのか、不明である。)上原ひろみさんは年末年始にかけてブルーノート東京で三種類の演目をパフォームする。ソロのオリジナルズ、クインテット、ソロのスタンダーズ。チケットの受付はこの順番で、日付をずらして行われた。私は当初、ソロの二演目を狙っていた。クインテットはパスしようと考えていた。ところがソロの申し込みの日、11時半から昼食を摂ったら12時からの申し込み開始を完全に忘れ、二時間後に思い出してホームページを開いたら既に完売していた。それでクインテットを申し込む運びとなった。チケットを購入してからお昼を食べるという革新的なソリューションの導入が攻を奏した。スタンダーズ公演は申し込みページを開いたコンピュータの目の前でお昼ご飯を食べることで12時からの申し込みを無事に遂行した。

結果的には怪我の功名。クインテット公演に入ったのは正解だった。上原ひろみさんと四人のストリングス奏者から成るチームのアルバムを、私は2021年に一番多く聴いたからだ。前に同じ会場で観たときはまだアルバムが発売されていなかった。ある程度、聴き込んだ上でもう一度、生で聴くと、この作品をいっそう深く味わうことが出来た。この音はこの奏者さんが出していたんだとか、こうやって目配せして他の奏者さんたちが合流しているんだとか、発見の連続だった。目の前で演奏されている音と、アルバムを聴いて頭に入っていた音とを自ずと対比させながら聴いた。即興の部分がクッキリと浮かび上がってくる。ジャズに同じ演奏は二度とない。上原ひろみさんがいつも公演の冒頭に言うように、この場、この公演かぎりの特別な音。私は公演中、そう来るのか、すげー、と感嘆しっぱなしで、マスクの下で満面の笑みを浮かべていた。楽しんでいるのを表情では伝えられないけど、それでもステージの皆さんに我々の熱は伝わったと思う。後半に進むにつれ会場に一体感が出てきた。即興の見せ場で乗ってきて何かが憑依したように鍵盤と向き合い自分を表現する上原ひろみさん。ピアノと一体になっている。クリエイティブという概念そのもの。本当に目前と言って差し支えない距離だった。ピアノから3メートルくらいだったかな。アリーナ席。11-1。二列目。上原さんの表情や手先の動きがちょうど一番見やすい横位置。三番目にいい席だったと思う。一番、二番は私の前の二席。遊び心といたずらっぽさが混じったようなお顔でこちらを見る上原ひろみさんと、何度も目が合った。

勝てばリーグ優勝という状況で横浜F・マリノスがアルビレックス新潟さんに0-2で負け、優勝を逃した2013年のJ1リーグ第33節。中村俊輔さんがこのときを振り返り、日産スタジアムを埋めた記録的な大観衆の見物気分が伝わってきて選手側も変な空気になりやりづらかったという旨のことを言ったのは有名な話だ。中村さん級の選手だから許されるギリギリの発言だとは思うが、興行における観客、ファンの役割は単なる傍観者とは違う。現地で、生で観るということには一定の責務がつきまとう。画面の前で観るのとは違う。もちろんフットボール観戦者が俺らも一緒に戦っているなんて息巻いても腹の出た運動不足のオジサンが何を言っているんだよという感じだが、フットボールの観客が空間を一緒になって作り上げているのは紛れもない真実である。ただお金を払って他人同士が競っているのを観に来ているだけというのもひとつの真実だが、それだけでは片付けられない面も確実にある。音楽も一緒。特にジャズのように即興要素の強い音楽では。楽しんでいることを身体で示す。いい雰囲気を作り上げる。演者さんたちを乗せる。特に私がいたアリーナ席は誰よりも率先して拍手、手拍子をしないといけない。フットボールで言うところのゴール裏のようなもの。今日はそれがうまくいった感触があり、とても気持がよかった。私が観たのは二公演あるうちの一回目。15時開場、16時開演。興行においては昼公演は夜公演に向けたウォーミング・アップ的な部分があるのがあるあるだが、それを微塵も感じさせない昼公演だった。もちろん、私が入らなかった夜公演がもっと熱かった可能性もあるが、それが気にならないくらい激熱で激ヤバな音楽の時間だった。一度限りの、唯一無二の音楽を体験したんだという満足感。二回回しの一回目だというのを感じさせない。流石プロ。

アルバムの題名である“Silver Lining Suite”のシルバー・ライニングとは、雲の切れ間から差す光。コロナ騒ぎが与えた苦しみの、その先に見える希望を表している。アルバムの核を為すのが何と言っても同名の壮大な組曲。ストリーミングや円盤では四つのトラックに分割されているが、一つの曲として通して聴くものであると理解するのが大切。間に小休止を挟まず、一続きにパフォームされることでいっそうこの組曲の世界に引き込まれる。客も分かっていて、途中で曲が終わったと思い拍手を入れる無粋者は一人もいない。これはさっきの話に繋がるけど、仮に分かっていない輩がいてするべきではないタイミングで拍手をしてしまったら曲をぶち壊してしまうんだ。この組曲が、今日の公演でも間違いなく最大のハイライトだった。曲自体は聴き込んでいるのに、アルバム発売前に初めて聴いたときのような、新鮮な気持ちでまた感銘を受けた。(これを読んでいるマイメンでこの期に及んで“Silver Lining Suite”を聴いていない奴はまさかいないよな?)アルバム以外だと、“Moonlight Sunshine”という曲を、上原ひろみさんと西江辰郎さんとのデュオで(途中からビルマン聡平さん、中恵菜さん、向井航さんも合流)。クインテット公演は計8公演あるため、最初のデュオ・パートは各ストリングス奏者さんに二回ずつ当たるようにしてある。どの公演で誰がやるかはあみだくじで決めたという。くじと言えば、おみくじガレットというケーキを注文すると、抽選でワインが当たるという。運試しに頼んでみた。おみくじを開けると上原ひろみさんの字でこう書いてあった:お気に入りのラーメン屋さんがみつかるでしょう!(ワインの場合は大当たりと書いてあるらしい。)ガレットはピスタチオが入っていてとてもおいしかった。おみくじガレットJPY1,700+ハーブティー(ノスタルジー・ブレンド)JPY1,000+奉仕料10%=JPY2,970。参考価格:サイゼリヤさんの平日ランチJPY500、グラス・ワインJPY100。