2023年12月29日金曜日

赤と黒 (2023-12-24)

朝から眠い。頭が回らない。タカセで“Hidden Valley Road” (Robert Kolker) を開くもほとんど読み進めることが出来ず。心当たりはある。ザック・ニキことZachariah Bealesanさんのゲーム実況動画を観ていた昨日の寝る前。『誘拐事件』。このゲーム、激しく面白い。チラズ・アート社の最高傑作ではないか。(同社の『閉店事件』も印象的だった。ザック・ニキの実況プレイ動画はコチラ。)とにかくクリエイティヴ。ホラー・ゲームなのだが遊び心たっぷりで。ゲームの中でゲームが始まるのが好き。小説の中で実在する本が出てきて登場人物がそれを読んだり、物語の中に筆者が割り込んできたりするのも大好物。よくないとは分かりつつも途中でやめることが出来なかった。最後までハラハラ・ドキドキしていた。その後にタッピング瞑想をして興奮を鎮め、すぐに寝付くことは出来た。耳栓もつけた。問題なく熟睡できたつもりだった。でも影響はあったのだろう。

めいめいが出演する終演後のトーク・ショウがあるので今日の公演に申し込んだ。そういえばファンクラブ先行で当たったものの振り込みを失念していた。振り込み期限の翌日にファンクラブの担当者からキツめなメールが来た。すぐにりそな銀行のアプリから振り込んで平謝りの返事を入れたが、それに対する返事もややキツかった。でもさ。私は2017年5月からめいめいのファンクラブに入会していて、振り込み忘れなんて6年半で初めてだよ? 当選したらいちいち手で振り込まないといけない以上、ミスを100%なくすことは出来ないよ。こういうことを繰り返しているとか、メールを送っても返事がないとか、そういうときに強く出るのは分かるけど、初手であの書き方はちょっとないんじゃないかと思った。でも理解は出来る。若い人なんだと思う。労働の経験が浅い人ならではの一本槍なスタンス。強い立場にいるからすぐに強く出ればいいと思っている。機微が分かっていない。私も通ってきた道。(でもその割にそっちもちょくちょく細かいミスがあるよね? 同じ担当者か分からないけど。)私も若い頃だったら、こういうとき相手にちょっとキレ返していたかもしれない。そもそも毎回手数料払わせて振り込ませてんじゃねえよ。いい加減クレジット・カードに対応くらいしろやくらいのことをオブラートに包んで。もうそんなことはしない。感情の無駄遣いはしない。すみませんでした。ご対応いただきありがとうございます。今後は気をつけます。という感じで収めた。そういうことはあったけど結果としては無事にチケットを手に入れた。

12時半開演。微妙な時間。昼ご飯を急いで食べて会場入りする必要がある。東京芸術劇場。池袋。あのグローバル・リングがある所。そこの二階。近くの楊2号店で汁なし担々麺。JPY900。カウンター。右にいた紳士が麻婆豆腐、ご飯、水餃子、汁なし担々麺、焼き餃子をお一人で召し上がっていた。久々に観るミュージカル。10月にめいめいの一人芝居コンサートを観ているけど、それを除くと6月25日(日)のダ・ポンテ以来だ。入場した瞬間から、ああなんか久しぶりだな、この感じと思った。それは私にとって居心地の悪さを伴うものだった。変に厳粛で物々しい。陰気で抑圧的。撮影禁止と書かれたボードを掲げる、こういう会場特有の、マスクで顔を覆った女係員たち。アクション・ゲームで特定のステージに無数に配置されるモブ・キャラのようだ。どこからどうやってリクルートされるのだろうか? 公演中は私語をやめろ、撮影するな、などと念を押す場内放送。別に言っている内容が間違っていると言いたいわけではない。私語や撮影を自由化しろと言いたいわけではない。この世界ではそれが正しい。ミュージカルって観客が積極的に参加して作り上げるではないものね。観客の反応を見ながら即興で内容を変えるものでもないし。観客が変に声をあげたらステージ上の世界をぶち壊してしまう。だから向こうにとって大切なのはいかに我々を最後までおとなしくさせるか。いかに我々を押さえつけるか。いかにつつがなく最後まで無事故で公演を終わらせるか。それがココでは正義。そういうもの。繰り返す。それを否定するつもりは一切ない。ただ、久しぶりに来て気が付いた。私がライヴ・エンターテインメントに求めているのはコレではない。私がライヴ・エンターテインメントを必要としている理由。それは労働生活で自由に表すことが出来ない喜怒哀楽を解放する場所が必要だから。なんでわざわざ自由なはずの時間に、仕事で得たお金を使ってまたコントロールされないといけないんだ。私は出来上がった作品を映画を観るようにただおとなしく受け取るためにライヴ・エンターテインメントに足を運んでいるのではない。私はそのとき限りの奇跡を味わいたい。その一部になりたい。私が欲しているのは熱狂なんだ。めいめいがミュージカル女優を続ける限り、これからも氏が出演するミュージカルを観に行くことはやめるつもりはない。だが、氏を度外視してこの世界に深入りすることはないだろう。

12月21日(木)の上原ひろみさんのコンサートでは眠気がいい方向に作用したが、今日はそういうわけにはいかなかった。ちょっと眠すぎた。20分の休憩時間には歩いたりストレッチをしたりしたが、それでも眠気が抜けなかった。話の内容にもそこまで興味を持てなかった。音楽も特にはまらなかった。予習としてSpotifyで本家のサウンド・トラックを一度だけ聴いた。二度目は聴いていない。舞台は19世紀のフランス。分からない。20世紀後半以降のアメリカ合衆国のことなら多少かじっているので、この頃はこういう時代だったよなという自分の知識と照らし合わせながら観ることが出来るが、フランスに興味を持ったことがない。私の隣で観劇していた淑女が、どうやら感激して泣いていたようだ。単に鼻をすすっていただけの可能性もある。根が紳士に出来ている私はジロジロ見なかったので確認できていない。泣いていたと仮定しよう。私の感覚ではアレで泣くのはちょっと分からない。でもそれは私がまだそのレヴェルに達していないからだ。おそらく彼女にはこのミュージカルに感情的に入り込めるだけの素養が備わっているのだ。たとえば原作の小説を読んでいるのかもしれない。何も知らずにただめいめい目当てで観に来た私とは魂のステージが違うのだ。一方で彼女は、私が6月10日(日)の明治安田生命J1リーグ第17節、横浜F・マリノス対柏レイソルで後半52分に宮市亮さんが劇的な逆転ゴールを決めた後に狂喜乱舞し涙を流したことを理解できないだろう。なぜあのとき私が泣いたのか。それはあのゴールを点ではなく線で見ていたからである。再三の負傷離脱に苦しめられ、引退する意思を撤回し復帰したばかりの宮市さん。小暮トレーナーに支えられながら続けてきた苦しいリハビリ。後半45分の時点で2-3で負けている苦しい試合展開。リーグの優勝争いにおけるこの勝利の重要性。そういったさまざまな点が線となって私の中で繋がったからこそ、私は泣いたのである。『赤と黒』で泣ける人にも、おそらくその人なりのストーリーがあるのだ。

めいめいが登場したのは休憩明けの第二幕(後半)からだった。氏だけを目当てにJPY13,500のチケットを買っている身としては苦しかったが、かなりいい役ではあった。めいめい独特の華があった。第二幕が始まった途端に空気が変わる感じはあった。ちょっと前の横浜F・マリノスで後半から仲川輝人さん、マルコス・ジュニオールさん、オナイウ阿道さん、エリキさんらが出てくるような凄みとワクワク感があった。主演の紳士(三浦宏規さん)はどこか扇原貴宏さん感があるなと思いながら観ていたら終演後のトーク・ショウでは扇原さん同様に関西弁だった。関西のイケメンの系統。めいめいは家のテレビが映らないらしい。屋根裏にはネズミがいる。最近はネズミの消毒業者とテレビのアンテナ業者がよく家に来るという話でステージ上と客席から受けを取っていた。