2025年11月19日水曜日

BLUEGOATS LIVE TOUR 『青春を、もう一度』 (2025-10-05)

2024年に私がSpotifyで最も長く聴いたアーティストはBLUEGOATSだったが、同年11月30日(土)のミニ・マルコchanとの運命的な出会いを契機にLiVSばかり聴くようになった。2025年の一位はLiVSが当確。二位は #KTCHAN だろう。BLUEGOATSは五位以内に入らないかもしれない。LiVSにはまりすぎて、なんかこう聴く気にならないというか、BLUEGOATSの耳ではなくなってしまっていたのだ。新曲が出たら一応、再生はするけど、一、二回聴いてふーんって感じで終わり。元々BLUEGOATSに関しては常軌を逸した通い方はしていなかったものの、今年に入ってからの私は明確な意思を持ってこの集団に割く時間とお金を減らし、LiVSに注力してきた。もっともこれはBLUEGOATSに限った話ではなく、田村芽実さんのミュージカルも申し込むのをやめていた。直近でBLUEGOATSの単独公演を観たのが6月22日(日)、その前が3月2日(日)、その前は2024年12月29日(日)。昔読んだ『グルメの嘘』(友里征耶)という本によると飲食店では月に一回以上行っていると常連と認識される可能性が高いらしい。インディー・アイドルの世界はそんなに甘くない。月に一度だとたまに来る人だろう。今年に入ってから三ヶ月に一度程度しか来ていない私はBLUEGOATSにとって、たまに来る人ですらない。もはや来ていないようなもの。こんな中途半端なことを続けることに意味があるのだろうかと疑問に思うし、いっそのこと行くのをやめてしまったほうがいいのではないかという考えも頭に浮かぶ。なぜ今日のチケットを買ったのかも覚えていない。さすがに最近BLUEGOATSに行っていなさすぎる。LiVSの予定が入っていないし、ここらでいっちょ行っておくか。おそらくそんな感じだったような気がする。9月8日(月)の対バンでは新曲の多いセット・リストについていけず、BLUEGOATS支持者としてのブランクを感じた。だから今日も若干の不安はあった。自分はまだBLUEGOATSを楽しめる身体なのかどうか。それを確かめたいという思いはあったかもしれない。

渋谷CYCLONE。入場前、付近をうろつき、適当に目についた次世代という飲み屋に入る。店名が少しひっかかる。私自身はとっくに次世代といえる年齢ではなくなっているからだ。枝豆もフライド・ポテトも焼き鳥も塩がしっかりまぶしてあって、好みの味だった。私は塩が大好きなので。(血圧は高くない、むしろ低めである。)JPY2,380。チケットは一般の12番だったけど、その前に一般抽選、さらにその前にVIPチケットというのがあったので、別に良番というわけではなかった。既にまあまあ埋まっている。右側に位置をとる。なんとなく癖で右側に行きがちである。LiVSにおいて右側がなんとなくミニ・マルコ支持者たちの定位置になっているというのもあるだろうし、LiVSに出会う前から右側を好む傾向があったような気もする。

始まってみると、番号が良いとか悪いとか、前にいるとか後ろにいるとか、そんなことはほとんど関係なかった。これぞBLUEGOATS。9月8日(月)の対バンとはまったく異なる満足度。音楽で繋がるとはこういうこと。ひとつひとつの言葉、それはリリックもそうだし、曲間のトークもそうなんだけど、とにかくそれらが違和感なく沁み込んでくる。心の隙間をぴったりと埋めてくれる。言葉で人の心を掴む能力、それが同業者の比ではない。「ボクシングじゃあり得ねえ 言葉のウェイトに差がありすぎる」(呂布カルマ)。音楽で、メンバーさんの言葉で、胸がスカッとする。カタルシス。この空間にいられることの幸せを嚙みしめる。ちょっとうるうるしてくる。明日からも生きていこうと思わせてくれる。こんな感情にさせてくれる集団がほかにどれだけあるだろうか。BLUEGOATSの運営とメンバーが中心となってファンと一緒に作り上げてきたフロアのノリ。もはや他の追随を許さないくらいに完成度が高い。正直、私はフロアのノリに限って言えばLiVSよりもBLUEGOATSの方が居心地はいいかもしれない。一般的なインディー・アイドルのノリを全面的に否定し、異なる思想とやり方で唯一無二の熱さを実現している。個人崇拝ではなく、全員の意思があくまで音楽と言葉に向かっている。フロアの我々もBLUEGOATSの一員として一緒に歌う。久し振りに声が枯れた。セット・リストが絶妙だった。最近の曲を追い切れていない自分でもついていけた。置いて行かれなかった。『東京タワー』を久し振りに聴けて嬉しかった。『君の唄で生きていたい』、『解散』、『IWGP』といった曲であれば私でもある程度は習熟していた。そこまで聴いていない最近の曲もうろ覚えながら歌える箇所は歌った。気持ちのよいメロディ。胸のすく言葉。

ほんま・かいなさんのヴァイブスがどんどん半端なくなっていく。目にする度に思う。彼女はスタア。アンコールを受けて出てきた際に、アンコールはチケット代に含まれていない。だからやる権利(と言っていたが義務のことだと思う)はない。このまま帰ってもいいと言うなど、かいな節を連発していた。そしてチャンチーさん、やっぱり可愛い。今日のビジュは特に良かった。特典会でチャンチーさんに会いに行くと、シーテキ! と呼んでくれた。ちょっとびっくりした。名前を憶えてくれているとは思わなかったからだ。最初に会ったときに名乗りはしたけど、おそらくその後に思い出せなくなって、名前なんだっけ…と聞くタイミングを逃しているうちに私があまり来なくなってうやむやになっているような気がしていた。まあいいよ、私にはミニ・マルコchanがいるし…と思っていた。だから今日、おそらく初めて特典会に行ったとき以来に名前を呼んでもらえて、チャンチーさんと出会い直したような気持ちになった。

もしBLUEGOATSがこれからビッグになって、インディー・アイドルの枠組みを抜け出す日が来るとするのであれば、それを示す大きなマイル・ストーンは特典会の廃止だろう。毎回の公演後に一枚JPY2,500(サイン、日付、メッセージの書き込み、交流付)かJPY1,000(撮って終わり)でチェキを撮るというビジネス・モデルからの脱却。実際、たとえば1,000人規模の観客を集めてあれをやるのは無理がある。その規模になるとHello! Projectのように独立した別のイヴェントにするか、簡易なお見送り会だけにするとかになるだろう。実際のところ収益的にも客のニーズ的にも特典会ありきなのがインディー・アイドルである。本当に売れるというのはそこから抜け出す(それが出来なくなるくらい活動規模が大きくなる)ことだと思う。BLUEGOATSだったらそこを目指せるんじゃないか。現時点で特典会に行かなくても満足できるくらいBLUEGOATSのコンサートは満足度が高い。実際、コンサートだけを観て帰っている人も普通にいる。

一昨日のきゃらめるもんすたーずも今日のBLUEGOATSも新鮮な気持ちで心から楽しめた。正直なところ、最近の私がLiVSを毎回同じような気持ちで楽しめているかというと微妙なところである。ある話を思い出す。田村芽実さんはアヴォカドが大好きで毎日一個を食べていたら突如としてアレルギーを発症し、食べられなくなったそうだ。どうやら人間は一生の間に特定の食物を摂取できる上限というのが決まっているらしいのだ。もしかすると今の私は異常な頻度でLiVSに通った結果、もう一生分のLiVSを摂取してしまったのではないだろうか。もうLiVSを100%は楽しめない身体になってしまったのではないだろうか。そんな考えが頭をよぎる。実際、BLUEGOATSだってLiVSのような頻度で通っていたら今日のようには楽しめていなかっただろう。とりあえず気分転換のためにLiVS以外をもう少しは観た方がいいのかもしれない。