2020年10月31日土曜日

秒速5センチメートル (2020-10-22)

駅に着いてから気付いたけど前にも田村芽実さんの何かで来たことのある土地だ(※1)。キッチン・カルネでハンバーグと少量のステーキが鉄板に乗ったやつを食った。少しとはいえバター、あとハンバーグのつなぎでおそらく卵も摂ってしまった。カゼインと卵白に強いアレルギーがあることが検査で判明し、それらを避けるよう先生から言われている身としては後味が悪い。食いモンだけに。あれを食えとかこれは食うなとかの助言は世の中に掃いて捨てるほどあるけどさ、体質は人種や個人によって違う訳で。遅延型フード・アレルギー検査を受けないと始まらないんだと最近になって私は知った。牛乳を毎日飲めとか、卵を毎日食べなさいとか書いてある本もあるけど、私のようにアレルギーがある人が従うと逆効果。

クリーピー・ナッツ(※2)を地で行く四人組中年男性(※3)が仲良く談笑しながら目前の建物に吸い込まれていくのを見て、今日の会場、東京ヒューリック・ホールがココで間違いなかったんだと安心した。田村芽実さんのファンクラブ会員はクリーピー・ナッツと総称して差し支えない。いや、女性のファンもたくさんいる。実際に去年のソロ・コンサートでは観客の半分くらいが女性だった。でもやっぱこう、平日で、田村芽実さんのソロ現場ではなく、チケットも手数料抜きで7,800円となるとね、濃い層しか来ないんだろうね。席に着いて同じ列の左右を見るとキモい男性ばっかなのよ。他の列と年齢や男女比の分布が違うんだ。観客の入れ方のガイドラインが緩和されたらしく、席の間隔を空けなくなっている。すぐ隣にキモい男性がいる感覚を久しぶりに味わった。田村芽実さん関係の現場は、観客の大半が女性を占めるような催しでも私の周囲はクリーピーな紳士で固められている(オセロの原則で私もキモくなる)ので、彼女のファンクラブで抑えられたエリアだというのがすぐに分かる。でも別に両隣の人と一緒に何かをするわけではないし、始まっちゃえば関係ない。田村芽実ファンクラブ事務局さんはいつも良席をくださるので感謝している(※4)。

朗読劇って何やねん。しかも原作が新海誠さんって。正直、だるい。パスしていい? 最初にこの公演について知ったとき私はそう思った。もしコロナ・バカ騒ぎがなくさまざまな興行が正常に行われていたなら、ファンクラブ先行受付の案内を黙殺していたかもしれない。田村芽実さんがご出演なさるという点を除くと興味を惹かれる要素が何もない。いや、食わず嫌いやねんで。朗読劇なんて観たことがない。もしかしてポエトリー・リーディング的な、演者さんが椅子にでも座って小説をただ読み上げる劇なのだろうか? だとすると面白さはそのテキストに強く依存するが、作者が新海誠さんと来た。アニメ映画『君の名は。』の大ヒットで大金と名声を獲得した原作者として名前くらいは知っていたが、私は一冊も読んだことはない。読む気にならない。私や当ブログの読者にとって甘酸っぱい青春恋愛物語なんざギャングスタ・ラップのリリックよりも生活実感からかけ離れている。リアルじゃねえ。ヒューバート・セルビー・ジュニアさんを読め。チャールズ・ブコウスキーさんを読め。ハンター・トンプソンさんを読め。西村賢太さんを読め。樋口毅宏さんを読め。根本敬さんを読め。ドナルド・ゴインズさんを読め。ミシェル・ウエルベックさんを読め。

ただ背に腹は代えられないというか、田村芽実さんのことは長らく生で観ていなかったんでね。最後は2月15日の『ウエスト・サイド・ストーリー』。五月だったか六月だったかの『ヘア・スプレー』は公演そのものが全部飛んだ(これは本当に残念)。だからもう約8ヶ月。この『秒速5センチメートル』を逃したら次はいつめいめいさんの舞台やコンサートを観られるのか目処が立っていない(公表されている範囲では)。贅沢を言っていられない。いわば新海誠さんに金玉を握られている状態。今日の19時半の部に申し込んだ(田村さんがご出演されるのはこの部と、昨日の昼の二公演)。公式ウェブ・ページを見ると公演毎の出演者さんは五人しかいないので、それなりに田村さんの見せ場はあるだろう。

と思っていたんだけど劇が始まっても田村さんがなかなか出てこない。この劇は、公演によって出演者さんの組み合わせが何通りかに分かれている。もしかして申し込む公演を間違えたんじゃないか? 田村さんがご出演なさらない公演に間違えて申し込んだのではないか? 顔には出さないが(※5)少し焦った。しかしファンクラブに案内されたURL経由では田村さんが出る二公演しか申し込めなかったはず。

構成として、いくつかの話に分かれているんだけど、それぞれで完結しているのではなく、つながっていた。最初の話では田村さんの出場機会がなかった。二話目でようやくステージに姿を現した。行動経済学の本に書いてあるように人間には確証バイアスがある。あらかじめ抱いている考えが正しいと再確認する形で物事を認識してしまう癖のことである。私の場合、田村芽実さんは最高に魅力的な女優であるというのがそれにあたる。なので客観性には欠けるのだが、彼女が登場した途端、場がパッと華やいだ。同じ劇で十代前半(たしか13歳)からアラサー(たしか28歳)まで感情移入して演じる役者さんたちの実力は確かなものだった。それは認めた上で、田村さんには一味(唐辛子ではない)ちがう輝きがあった。今日の田村さんはいつにも増して本当に生き生きしていたんだ。天真爛漫な高校生のお嬢さんという役柄も関係していたとは思うけど、それだけじゃなかった気がする。ステージで自分を表現できる喜びが、彼女の全身からにじみ出ていた。それを観るだけで私も楽しい気持ちになった。しばらく期間を置いた(置かざるを得なかった)ことで、Spotifyや毎週(※6)のインスタ・ラジオで聴いているあの人が近くにいる!という素朴な喜びも感じた。

朗読劇というのは、懸念していたポエトリー・リーディングとは異なっていた。通常の舞台ほどのアクションはないが、ずっと一箇所で座っている訳でもなく。その中間くらい。演者さんたちは常に台本を開いて両手で持っている。台詞はそこから読み上げる。この朗読劇という形態にコヴィッド・ナインティーンがどこまで関係しているのか、私には知る由がない。もしかすると、演者さん同士の接触を最低限にする方策として選ばれたのかもしれない(※7)。役者さんとしては台詞を正確に再現する重圧からは解放されるから、純粋に演技に入り込みやすいのかも。往年の名俳優でも台詞をまったく覚えずカンペを読んでいた人がいると『太田上田』(※8)で太田光さんが言っていた。

題名の『秒速5センチメートル』は、桜の花びらが地面に落ちる速度なんだって。だから春の、別れを伴う甘酸っぱい恋愛を描いた話。私が好む小説のように麻薬中毒者は出てこないが、恋愛で頭がいっぱいになっている状態も麻薬中毒みたいなもんだ。aikoさんも『恋愛ジャンキー』という曲を残したしね。この機会がなければ私は一生、触れることはなかった作品。原作を読もうとは思わないが、田村芽実さんを通して作品世界を感じることが出来たのはよかったと思う。


※1 2019年10月26日(土)。バースデーライブ。

※2 日本語にすると気味の悪い変な奴らくらいの意味。キモオタと訳しても差し支えないんじゃないかな。知ってた?

※3 全員ふくよか。二人は禿げている上に洗っていないのか脂気の強い髪がベッタリと張り付いている。

※4 今日は四列目の右寄り通路席。C列が最前だった。

※5 男性は戦いで相手に考えていることを悟られると不利になる名残りで女性に比べ感情が表情に出ないようになっている。たしか昔読んだ『話を聞かない男、地図が読めない女』にそう書いてあった気がする。

※6 実のところ三、四回に一回は聴くのを忘れている。

※7 いや分かんないけどさ、台本に向かって台詞を言っていたから飛沫感染の可能性は減るだろうし、稽古回数も少なくて済むのかもしれないし。

※8 『太田上田』と『三宅裕司のふるさと探訪』を観るために私はHuluにお金を払っている。